過去に何度そう決心しただろう。
そして成功した経験は一度もない。
自分を変えるうえで足かせになるのは今現在の自分を知る周囲の人々である。
根暗な人間が突然明るく爽やかな挨拶を振りまこうものなら、
「このヒトはきっと何らかの宗教に入信してしまったのだろう」
とあらぬ心配をかけられること確実である。
とはいえ、そんな心配は一時的なものであってずっと変わった自分を維持できれば
いつの間にか周囲のヒトもそんな新しい自分を受け入れてしまうものだろう。
だが、それにはかなりのが根性が必要である。
「コイツ大丈夫か!?」「変な啓発書読んだのか」「なんか頑張っているのか?」
と決して口には出さないが「きっとそう思ってるんだろうな」という被害妄想と
戦わなければならない。
実際そんな風に思うヤツなんてそうはいないかもしれない。
けれども必要以上にそう考えてしまう。
そんな自分だからこそ「変えたい」と願う。
でもそんな自分だからこそ被害妄想に取り付かれる。
その被害妄想を軽減するには環境を変えるのが手っ取り早い。
大学デビュー、社会人デビュー、転職デビュー。
その全てのタイミングで自分を変えようとしてきた。
なのに変えられなかった。
人見知りが激しく、口下手。なんとか明るく振る舞おうと最初は努力するのだけど
思ったようにウケなかったり、休日になぜか自分だけ誘われなかったりすると
やっぱりツマンないヤツだと思われてるのかな、気持ち悪いと思われてるのかな、と
考えてしまう。
そしていつの間にか無理をしているような気がして、今のままでいようと妥協する。
誘われなければ、なぜ誘われなかったのかを考えて改善すべきところは改善して、
なんなら自分から誘ってやるくらいの気概が必要なんである。
それは分かっている。分かっているけれど、出来ない。
たぶん傷つくのが怖い。
自分が否定されているような気がして怖い。
「今のままでいいよ」と守りに入る。
自分はヒトが嫌いなんだ、と思い込むことにする。
さて、この臆病な性質は克服かのうだろうか。
不可能じゃないんだろうが、ハードルはとてつもなく高い。
結局のところ自分をさらけ出してしまっているから、うまくいかないときに
自分が否定されたような気になってしまうのだろう。
そして上手く行かない状態を事前に想像してしまって臆病風に吹かれるのだ。
というわけで考えた。
演じよう
なりたいキャラクターを綿密に作っておく。そしてそれを演じるのだ。
上手く行かなかったら、演技が悪いか脚本が悪いんだろう。
そう思えば振り返りや改善も前向きに取り組めるかもしれない。
で、その前に「環境を変える」という課題をなんとかする必要があるのだが、、、
そこはまた明日以降考えよう。。
明日の目標。
声を張る
え?昨日と同じだって?
なぜなら今日はお腹から声を出す意識が出来ていなくていつも通り喋っちゃいました。
ちゃんと明日は意識します。。
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